自傷跡を見た時に過剰に反応しない人が好きだ、触れないでいいものにわざわざ触れないその絶妙な距離感、必要以上に興味関心を持たない姿勢、あるいは思いやり。ただ目に見える切り傷として残っているものだけに言及することは優しさでもなんでもない、ただの傲慢、ただのあなたのエゴです。自傷行為の何が悪いかが分からなくて、自分の身体を傷つけるなってじゃああなたの身体なら傷つけていいんですかっていうのは屁理屈だって分かってるけれど。不愉快だからするなって言われた方がよっぽど納得できる。死にたいという言葉がはらんでいる辛さの最大値は人の数だけ違うから、死にたいに対する解釈も乗り越え方も励まし方も違うわけで、結局は他人の痛みなんて理解できるわけがないから、生きていれば良いことあるみたいな言葉は私は好きではない。それは本当に生きてて良いことがあった人にしか響かない言葉だから。死にたいって声に出してみた結果、その言葉はやっぱりタブーなんだと気づいた人から死んでいくことが悲しい。誰の死にたいも軽んじるなよ。悲劇のヒロインのレッテルを勝手に貼るなよ。私は誰かと比べて死にたくなったことも自分が一番辛いと思ったこともないのに、私は私を正しく見つめ直した時に劣等感や自己嫌悪が浮き彫りになるから、私に対する感情を正当に評価してるだけで、誰かに可哀想と言われたいわけではない。死にたいという言葉を真剣に受け止められたくも茶化されたくもない。他人の言葉に期待なんてしていないし、誰かのアンサーを求めてるわけでもない。結局自分を救うのは自分だったし、誰かに救われたいとも思ってない。